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札幌地方裁判所 昭和44年(行ウ)31号 判決

原告 後藤春男 ほか一名

被告 北海道郵政局長

訴訟代理人 宮村素之 細川俊彦 阿部昭 ほか七名

主文

被告が昭和四四年八月二日付で原告らに対してなした懲戒免職処分をいずれも取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判〈省略〉

第二当事者の主張

(原告らの請求原因)

一  原告らはいずれも郵政事務官であつて、原告後藤春男は北見国興部郵便局に、原告渡部大二は北見郵便局にそれぞれ勤務していたものである。

二  被告は原告らに対し、昭和四四年八月二日付でそれぞれ懲戒免職処分をした。

三  しかしながら、右の各処分は次の理由により違法であるから取り消されるべきである。

(一) 原告らには懲戒免職処分に付されるべき事由がないから、右処分は違法である。

(二) 原告らはいずれも全逓信労働組合(以下「全逓」という。)の組合員であるところ、右処分は原告らの活発な組合活動を嫌悪してなされた不当労働行為であるから違法である。

(三) 仮に、原告後藤が昭和四四年四月二六日の庁内示威行進の際、北見郵便局庶務会計課長本間良三の腕を抱えて行進した事実が懲戒事由に当るとしても、同原告を懲戒免職処分に付したことは、他の全逓組合員に対してなされた懲戒処分に比較して量定の点で重きに失し、懲戒権の濫用というべきである。

(請求原因に対する被告の認否)〈省略〉

(被告の主張)

原告らに対する本件懲戒免職処分の理由は次のとおりである。

一  原告後藤について

(一)1 本件ストライキに至る経緯およびその実施状況

(1) 全逓は昭和四四年二月二二日から三日間和歌山市において第四四回中央委員会を開催し、一三、〇〇〇円の賃金引上げ、勤務時間短縮、合理化問題および簡易郵便局法の一部改正法案反対などを主要目標とした春闘方針案などを討議した。このなかで、賃金引き上げ闘争については、三月一杯自主交渉をつめたあと調停に持ち込み賃金確定を迫るため、四月一五日以降三段階にわたつてストライキを設定して郵政省を追い込んでいく、ストライキの規模は時限ストライキから一日ストライキへの拡大を考えながら取り組んでいく、との方針を決定した。

(2) 全逓は同年四月一〇日、第二三回全国戦術委員会を開催し、春闘の山場における具体的戦術を協議し、(イ)四月一四日以降全国的に労働基準法三六条に規定する時間外労働に関する協定(以下「三六協定」という。)の締結を拒否すること、(ロ)同月一五日から三日間休暇戦術を実施すること、ならびに(ハ)同月一七日および二四日には三時間ストを決行し、五月上旬には一日ストを構えることなどの戦術を決定した。

(3) 全逓中央本部は右決定を受けて四月一二日に、「同月一四日以降、三六協定の締結拒否戦術に突入するとともに、平常能率の徹底、業務規制闘争を強化し、ストライキを含むいかなる戦術にも即応し得る態勢を確立すること。」などを内容とする指令第二〇号を発出し、次いで同月一四日には、「同月一五日から三日間休暇戦術に突入すること、同月一七日別途指定する拠点においては三時間の時限ストに突入し得る態勢を確立すること。」などを内容とする指令第二一号を発出し、さらに同月一六日には、「同月一七日別途指定する局所において三時間の時限ストに突入すること。」などを内容とする指令第二二号を発出した。

(4) ところで、春闘において全逓が提出した諸要求については、中央において誠意をもつて団体交渉が行なわれていたものであり、特に春闘の主要求である賃金引き上げ問題については数次にわたり交渉を重ね、全逓が四月一四日指令第二一号を発出した時点では、当局は「今年度は客観状勢からみて、賃金を引き上げるよう努力したい。」旨の意見を表明し、なお交渉継続中のものであつたのであるから、全逓があえてストライキを含む種々の違法な戦術を行使することは、公共の利益を無視した許しがたい行為というべきであつた。

このため労働大臣は、四月一四日、全逓など公共企業体等労働組合協議会加盟の労働組合がストライキ宣言を発表したことに対し、関係者の反省と自重を要望する談話を発表し、また、郵政大臣は全逓に対し書面をもつて、「組合が計画しているストライキなどの戦術を即刻中止するよう申し入れるとともに、万一違法な事態の発生をみた場合は責任者、指導者はもちろんこれに関与したすべての職員に対し、処分をもつて臨まざるを得ない。」との警告を行なつた。

しかし全逓は、右に述べた状況および警告を無視し、四月一五日から一七日までの三日間、全国で二、三〇〇人以上の組合員を休暇戦術に突入せしめ、また、一七日には全国二二の地方貯金局などにおいて約三、二〇〇人の組合員を三時間の時限ストライキに参加せしめた。

(5) 全逓は四月二一日、賃金引き上げ問題についての労使の自主交渉を打ち切り、公共企業体等労働委員会(以下「公労委」という。)に対し調停申請を行なつたので、賃金問題は同日以降公労委の調停委員会の場で論議されることとなつたが、全逓はみずから調停申請をしながら調停委員会が第一回目の事情聴取を行なつた当日である四月二二日に再度「四月二四日に半日ストライキに突入すること。」などを内容とする指令第二三号を発出した。このため、河本郵政大臣は翌二三日全逓の宝樹中央執行委員長に対し、また浅見札幌郵政局長は武田全逓北海道地方本部(以下「道本部」という。)執行委員長に対し、それぞれストライキを含む違法な戦術の実施を即刻中止すべき旨、および万一違法な事態の発生をみた場合には厳正な処分をもつて臨む旨の警告を発した。

さらに同二三日右指令によるストライキ拠点局が北見および士別両郵便局であることが判明したため、北見郵便局長は、同日午前八時ころ、北見郵便局長名をもつて同局職員に対し、違法なストライキには絶対参加すべきでない旨、およびストライキに参加した場合は厳重なる処分を行なう旨を記載した「職員に対する警告書」を同局通用口正面壁に掲示するとともに、同局管理者らをして所属職員に対し個別に二四日のストライキには参加しないで出勤するよう周知徹底せしめ、午後四時すぎには北見郵便局長名の書面をもつて、全逓北見地方支部(以下「北見支部」という。)および原告後藤同支部執行委員長らに対し、ストライキを含む違法な戦術の実施を即刻中止するよう厳重に申し入れるとともに、右と同趣旨の文章を職員通用口掲示板に掲示した。

(6) しかし北見郵便局においては、現在員数一二八名中当日午前六時三〇分ないし午前九時までに出勤して勤務につかなければならない九〇名のうち五四名が午前一一時四七分ころまで最低二時間四七分、最高三時間四八分、平均三時間一九分欠務したほか、当日就労の意思を明示した全郵政労働組合(以下「全郵政」という。)の組合員ら二六名が就労しようとしたのに対し、北見支部組合員および支援労働組合員ら約二五〇名が強力なピケを張り、実力を用いてその入局を阻止し続けたため、就労者は午前八時五二分ころまで入局できなかつた。

2 本件ストライキが業務に及ぼした影響

(1) 郵政事業の各般の業務が高度の公共性を有することは広く認められているところである。とりわけ郵便業務はその業務が独占的なものであり、かつ、国民生活全体との関連性が極めて強いから、その業務の停廃は国民生活に重大な障害をもたらすおそれがあるなど、社会公共に及ぼす影響が著しく大きいことは多言を要しない。

(2) そこで、札幌郵政局長および札幌郵政監察局長は、その所属職員を北見郵便局に派遣する一方、北見郵便局においても同局局長は近隣の特定局長ら一七名に対し、業務応援を求め、その正常な運営の確保に努めた。

(3) しかし、右の措置にもかかわらず、以下に述べるような業務の支障が生じ、国民生活に多大の影響を与えた。

なお、右の派遣職員らは、それぞれ所要の業務を分担したため、その分だけ業務支障は顕在化しなかつたが、右人員によつて確保された業務の量は、本来「半日スト」によつて国民に打撃を与えたものというべきである。

イ ストライキ当日就労の意思を明示していた全郵政北見支部の組合員ら二六名の勤務時間は午前八時三〇分からとされていたが、強力なピケによつて、二〇分間以上入局を阻止され、その間の労務の提供を不能ならしめた。

ロ 平常三八個所のポストを開函して郵便物の取り集めを要するところ、スト当日その約六〇パーセントに相当する二四個所のポストの開函、取り集めが半日遅れとなつた。

ハ スト当日配達すべき通常郵便物(普通郵便)は約一九、〇〇〇通であつたが、そのうち約三、五〇〇通は作業未着手となるとともに、約一五、〇〇〇通が半日遅れて配達に持ち出されたものの、四〇パーセントに相当する六、〇〇〇通が配達されずに持ち戻りとなり、前記三、五〇〇通の郵便物と合わせ約九、五〇〇通が翌日以降に繰り越され、その回復には二日間を要した。

ニ 他局から送付され到達した八八個の郵袋のうち小包郵便物在中の郵袋二五個が開披できず、当日の所定配達作業工程に組み入れることができなかつたものを含め小包郵便物二三四個の配達が不能となり、その回復には二日間を要した。

ホ 北見郵便局から他局あてに区分けして送付すべき小包郵便物(普通小包)一九六個が所定の便で送付することができず、半日から一日遅れとなつた。

ヘ 貯金業務については、定額貯金募集額が平日の半分程度の六三六、〇〇〇円に止まり、また積立貯金の集金不能が平常の一・六倍の二〇七件に達した。

ト 簡易保険業務については、簡易保険募集額が平日の二三パーセントの二、六八〇円に止まつた。

3 非違行為

原告後藤は、昭和四四年四月二四日北見支部執行委員長として北見郵便局に赴いて、管理者の再三にわたるストライキ中止命令などを無視し、多数組合員をして同日午前六時三〇分の出勤者から順次ストライキに参加させ、みずからも参加したほか後記のとおり本件ストライキを実践指導して、同日午前一一時四七分までの間本件「半日ストライキ」を実施した。

原告後藤の右行為はいずれも公共企業体等労働関係法(以下「公労法」という。) 一七条一項(ただし怠業を除く。)に規定する各行為に該当するから、 同条項に違反し、国家公務員法(以下「国公法」という。) 八二条三号に該当する。また、公労法一七条一項違反は、同時に国公法九九条違反となるから、右九九条を経由したうえで同法八二条一号および 三号に該当する。なお、原告後藤は当時公労法七条一項但書による組合の業務に専ら従事する「専従職員」であつた。

(1) 原告後藤は昭和四四年四月二三日正午ころ、北見郵便局に赴き、同局郵便課事務室において、同課長安芸末男に対し、翌二四日北見郵便局においてストライキを実施する旨の発言を行なつた。

(2) 同二三日午後五時五分ころから同六時ころまでの間、同郵便局二階の局長室前廊下において全逓組合員約一〇〇名によりストライキ総決起集会が開かれた際、原告後藤は北見支部執行委員長としてストライキ参加予定者らに対して激励の演説を行なつてあおつた。

(3) 同二三日夕刻からストライキ参加予定者らを北見労働会館に宿泊待機させ、みずからもこれに加わつた。

(4) 四月二四日午前四時二五分ころ、原告後藤は道本部書記長小納谷幸一郎と連れ立つて北見郵便局職員通用門前でピケを張つている組合員らを巡視した。

(5) 原告後藤は同二四日午前一一時三〇分ころ、ストライキ参加者の集合会場である北見労働会館内から姿を見せ、同会館前でストライキに参加した組合員らに対し「行進する。」との号令をかけて四列縦隊に整列させ、かつ、隊列の先頭に立つて北見郵便局まで誘導した。

(6) 原告後藤は同二四日午前一一時三八分ころから同局構内において、前記小納谷幸一郎、全逓中央本部執行委員加藤和夫および北見支部書記長原口徹とスクラムを組み、約八〇名の組合員らの先頭に立つてジグザグデモを行なつた。

(7) 原告後藤は同二四日午前一一時四〇分ころから、同局構内において右約八〇名による集会が開かれた際、「団結、頑張ろう。」の音頭をとり他の者を唱和させた。

(二) 全逓側は昭和四四年四月二六日、庁舎管理者である北見郵便局長の許可を受けることなく、同局通用門付近の鉄柵に全逓旗、別紙(一)、(二)〈省略〉記載の横断幕および立看板を掲出したので、北見郵便局長においてそれらの撤去を命じたにもかかわらず、全逓側がこれに従わなかつたので、同局長の指示により同日午後三時三〇分ころから同局庶務会計課長本間良三ら六名の管理者が右全逓旗などの撤去作業を開始したところ、原告後藤は管理者らに体を押しつけるなどしてこれを妨害した。原告後藤の右行為は、国公法九九条に違反し、同法八二条一号および 三号に該当する。

二  原告両名について

原告後藤は、昭和四四年四月二六日午後七時ころ北見郵便局の局長室前廊下において、管理者の解散退去命令を無視し、約四〇名の組合員らを指揮して坐り込みをさせたあと、庁内デモ行進をさせ、みずからも右デモ行進に加わつて行進中、同局長室前廊下において解散退去命令を発出していた同郵便局庶務会計課長本間良三に対し、同人の腕を、右坐り込みやデモ行進に参加していた原告渡部とともに左右から強引に抱え込み、隊列の行くまま会議室前でUターンして、庶務会計課事務室前まで約三〇メートル行進したのち、原告渡部とともに抱え込んでいた同人の腕を同時に突き放して同人をその場に転倒させる暴行を加え、よつて同人に対し加療約三週間を要する左足関節内骨折の傷害を負わせた。

原告らの右行為は、いずれも国公法九九条に違反し、同法八二条一号および 三号に該当する。

(被告の主張に対する原告らの認否)〈省略〉

第三証拠〈省略〉

理由

第一請求原因一および二の事実(原告らの身分関係および本件各処分の存在)はいずれも当事者間に争いがない。

第二被告主張の本件各処分の理由について

(被告の主張一(一)について)

一  被告の主張一(一)1ないし(6)の事実(ただし、全逓が第二三回全国戦術委員会で同(2)の(イ)ないし(ハ)の各戦術を決定したとの点を除く。)および同2の(2)、(3)の事実はいずれも当事者間に争いがない。そして、〈証拠省略〉によると、全逓が昭和四四年四月一〇日開催した第二三回全国戦術委員会で右(イ)ないし(ハ)の各戦術を決定したことを認めることができる。

二  原告後藤の行動

(一)  〈証拠省略〉を総合すると、昭和四四年四月二三日から翌二四日にかけての北見郵便局およびその付近における全逓組合員らの動きは次のとおりであつたことが認められる。すなわち、同年四月二三日午後四時ころから、釧路、十勝方面の全逓組合員約四〇名がストライキ支援のため、ストライキ拠点局である北見郵便局に集合し始めた。そして、午後四時三〇分ころから同局二階の局長室前廊下において坐り込みをしたあと、午後五時五分ころから同所において約一〇〇名の全逓組合員らによりストライキ総決起集会が開かれた(右時刻ころから同所において右集会が開かれたこと自体については当事者間に争いがない)。右集会は、全逓北見分会(以下「北見分会」という。)の佐藤副班長の司会によつて進められ、釧路、十勝方面から支援に来た全逓組合員、原告後藤、北見分室の泉班長らがそれぞれ挨拶を行なつたが、原告後藤はその中で北見分会における全郵政結成の経過報告などを行なつた。その後右集会に参加した組合員らは庁舎二階の廊下をデモ行進するなどして、同日午後六時ころ解散し、翌二四日の半日ストライキに参加する北見郵便局勤務の全逓組合員らは北見労働会館に宿泊し、支援の組合員らは交替で同局職員通用門に終夜ピケを張つた。翌二四日午前六時三〇分ころ、中央執行委員加藤和夫は北見郵便局長に対し本日のストライキの責任者は自分である旨の発言をしたところ、これに対し、同局長は即時ストライキを中止するよう求めたが、加藤は「聞いておきます。」と答えたのみであつた。同局構内においては、そのころから組合員が集まり始め、シユプレヒコールなどをしていたが、午前七時ころには職員通用門前道路付近において、全逓組合員および支援の組合員ら約二〇〇名が参加して約三〇分間にわたりストライキ決行大会が開かれ、その後ストライキに参加する北見郵便局勤務の全逓組合員は北見労働会館に入り、同所においても集会が開かれた。一方、支援の全逓および他の組合員らは職員通用門においてピケを張つていたが、午前九時ころにはピケを解いた。その後午前一一時すぎころから当日のストライキに参加した北見郵便局勤務の全逓組合員が斉藤北見分会長に伴われて、就労のため同局に入局し始め、午前一一時四八分ころには就労者全員が入局した。以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

ところで、被告は、原告後藤が本件ストライキを実践指導したとして、具体的事実を挙げて主張しているので、以下この点について判断する。

(二)  被告の主張一(一)3の(1)について

〈証拠省略〉によると、原告後藤は四月二三日正午ころ、北見郵便局郵便課長安芸末男が局長室から郵便課事務室内の自席に戻るのに対して、「あしたはやるよ。準備はできたか。」との発言をした事実が認められ、これに反する証拠はない。

(三)  被告の主張一(一)3の(2)について

四月二三日午後五時五分ころから北見郵便局二階の局長室前廊下において、ストライキ総決起集会が開かれ、原告後藤が挨拶をし、北見分会における全郵政結成の経過報告などを行なつたことは前認定のとおりであるけれども、これを超えて、原告後藤が右集会においてストライキ参加予定者らに対し激励の演説をしてあおつたことまでも認めるに足りる証拠はない。

(四)  被告の主張一(一)3の(3)について

ストライキ参加予定者が四月二三日北見労働会館に宿泊したことは前認定のとおりであるが、原告後藤が右ストライキ参加予定者を同会館に宿泊させ、またみずからも宿泊したことを認めるに足りる証拠はない。

(五)  被告の主張一(一)3の(4)について

〈証拠省略〉によると、四月二四日午前四時二五分ころ、原告後藤が小納谷道本部書記長と連れ立つて北見郵便局職員通用門付近におけるピケの周辺を歩いていたことが認められるに止まり、これを目して、原告後藤がピケを張つている組合員を巡視した旨の被告の主張に副う供述をする証人本間良三の証言部分は、その根拠となる具体的な事実について何も触れるところがない以上、たやすく措信できず、他に原告後藤の右行為を巡視と評価すべき具体的事実を認めるに足りる証拠はない。

(六)  被告の主張一(一)3の(5)(6)(7)について

〈証拠省略〉を総合すると、四月二四日午前一一時三〇分ころ、ストライキ参加者の集会場である北見労働会館からストライキに参加した組合員が出て来て同会館前に集合し始めたこと、原告後藤が右の組合員らに向つて「これから宣伝カーとともに行進する。」と声を掛け、みずからその先頭に立つて北見郵便局まで行進したこと、同一一時三五分ころには他局からの支援の組合員らも職員通用門付近に集合し、やがて同一一時三七分ころストライキ参加者のうち出局就労する組合員四五名が原告後藤および小納谷道本部書記長を先頭にして局構内に入構したことが認められる。ところで、被告は原告後藤が組合員を四列縦隊に整列させ、前記北見労働会館から北見郵便局まで誘導したと主張するが、そもそも組合員らが右の間四列縦隊になつて行進したこと自体、〈証拠省略〉に照らしたやすく措信し難く、他にこれを認めるに足りる証拠はないうえ、仮にそうであつたとしても、原告後藤が組合員を四列縦隊に整列させたことまでも認めるに足りる証拠はない。

そして、組合員らが入構したのち、原告後藤が同日午前一一時三八分ころ同局構内において、加藤中央執行委員、小納谷道本部書記長および原口北見支部書記長とスクラムを組み、約八〇名の組合員らの先頭に立つてジグザグデモを行ない、引き続き同一一時四〇分ころから同局構内において右の組合員らによる集会が開かれた際、原告後藤が「団結、頑張ろう。」の音頭をとり他の者を唱和させたことは当事者間に争いがないところである。

三  原告後藤の責任

(一)  まず、被告は、原告後藤が本件ストライキに参加したことにより公労法一七条一項前段の同盟罷業をしたことに該当する旨主張するもののようである。しかし、同条一項前段にいう「同盟罷業」とは、労働組合がその主張を貫徹するために、その構成員たる組合員が自己の労務の提供を集団的に停止すること(いわゆるストライキ)を意味するものと解されるところ、原告後藤が当時同法七条一項但書のいわゆる専従職員であつたことについて当事者間に争いがないから、原告後藤は休職者として、国に対して労務の提供をなすべき義務はないものというべきであり、したがつて自己の労務の提供を停止するということを考える余地はないから、原告後藤が同盟罷業をすることはありえないものといわなければならない。したがつて、被告の右主張は理由がない。

なお、被告は原告が本件ストライキに参加しまたは参加させ、これを実践指導したことにより同条一項前段の「その他業務の正常な運営を阻害する行為」をしたことにも該当すると主張するもののようであるが、同条一項前段にいう「その他業務の正常な運営を阻害する一切の行為」とは、通常の企業運営においては正常に行なわれている業務に何らかの支障をきたすような行為であつて、同盟罷業、怠業以外の争議行為として行なわれる一切の行為をいうと解されるから、同盟罷業に参加し、または参加させ、これを実践指導する行為はこれに該当しないものと解すべきである。

(二)  次に、被告は、原告後藤が組合員を本件ストライキに参加させ、かつ、これを実践指導したことにより公労法一七条一項後段の共謀、そそのかし、もしくはあおり行為に該当する旨主張する。

原告後藤が北見支部の執行委員長であつたことについては当事者間に争いがないところ、〈証拠省略〉によると、全逓は単一組織の労働組合であつて、中央本部、地方本部、地区本部、支部、分会で構成されていること、北海道においては、道本部(北海道地方本部)の下に札幌、小樽、旭川、釧路の四地区本部が設置され、北見支部は釧路地区本部に、北見郵便局に設けられた北見分室は北見支部に属すること、北見支部の執行委員長は北見支部を代表し、支部の業務を統括する役員であること、闘争は中央本部の発出する指令に基づいて行なわれること、本件ストライキに関する中央本部の指令は、四月二二日に発出され、翌二三日北見支部執行委員長原告後藤のもとに到達したところの「各機関は四月二四日別途指定する局所において半日ストライキに突入せよ。」との指令第二三号によつてなされ、北見郵便局がストライキ実施局に指定されたこと(この点については当事者間に争いがない。)、右指令と同時に、「ストライキ拠点局の支部執行権はストライキ終了まで停止する。したがつて当該支部組合員は別途中央執行委員会が指名する上級機関役員の指示に従つて一切の行動を行なえ。」との指令もなされたこと、二三日中央本部から加藤中央執行委員がストライキの総責任者として北見に派遣され、また同日までに道本部から小納谷書記長および佐京執行委員が副責任者として派遣されていたことが認められ、右認定に反する証拠はない。

以上認定の事実と前記当事者間に争いがない本件ストライキに至る経緯を総合すると、本件ストライキは昭和四四年における賃金引き上げ、勤務時間の短縮、合理化問題および簡易郵便局法の一部改正法案反対などを目的としたところの、いわゆる春闘の一環として全国戦術委員会において決定された戦術に従い計画、実行されたストテイキであるが、その実施の日時および拠点局所の決定などストライキの大綱は中央本部において決定され、各支部の行なう具体的な闘争は中央本部の発出した指令に基づいて行われる全逓の全国的規模の春闘スケジユールの中に組み込まれたうえ実施され、また拠点各局所における具体的戦術についても、中央本部から派遣された役員の決定および指示に基づいてなされたものと考えられる。すなわち、北見郵便局においてストライキを実施するとの決定、その日時その他具体的戦術などはすべて中央本部あるいは加藤中央執行委員の段階で決定され、北見支部執行委員長としての原告後藤は右の決定および指示については全く関与していないか、仮にある程度関与していたとしてもさしたる重要性はなかつたと考えられる。

ところで、公労法一七条一項後段にいう「共謀」とは、二人以上の職員が当該公共企業体等の業務の正常な運営を阻害する意思でその実行について共通の意思決定をするために謀議することをいい、「そそのかし」とは、他の特定または不特定の職員をして争議行為を実行させる目的をもつて、当該職員に対しその争議行為を実行する決意を新たに生じさせるに足りる慫慂行為をいい、「あおり」とは、右の目的をもつて他の特定または不特定の職員に対し、その争議行為を実行する決意を生じさせ、または既に生じている決意を助長させるような勢いのある刺激を与えることをいうものと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるに、まず、原告後藤が組合員を本件ストライキに参加させたと認めるに足りる証拠はない。もつとも、〈証拠省略〉によると、四月二三日原告後藤は宝樹中央執行委員長からの指令第二三号に対し、電話で「ストライキに突入します。」との連絡をしたこと、および右指令を役員に伝達したことが認められるけれども、前認定の原告後藤の本件ストライキにおける権限、地位などに徴すると、中央本部に対しストライキに突入する旨の連絡をする行為は、中央本部において決定され、一方的に指令された事項について、これを了知した事実を通知する行為にすぎないと解すべきであり、また、右指令を組合役員に伝達する行為は中央本部から指令があつた事実およびその内容を、いわば中央本部の使者として伝える行為にすぎないものといいうるから、いずれも組合員を本件ストライキに参加させた行為として前記共謀、そそのかし、もしくはあおり行為に該当すると解することはできない。

また、被告において原告が本件ストライキを実践指導したとして主張する各行為(被告の主張一(一)3の(1)ないし(7))のうち前認定の各行為(二(二)、(六))はその内容および前認定の原告後藤の本件ストライキにおける権限、地位などに徴すると、前記共謀、そそのかし、もしくはあおり行為に該当すると解することはできず、そのような行為がなされたと推認することもできない。

(三)  さらに、被告は原告後藤の本件ストライキに関する各行為が直接国公法八二条三号に違反するほか同法九九条違反として同法八二条一号、 三号に該当する旨主張するが、原告後藤が本件ストライキに際してとつた前認定二の(二)および(六)の各所為が直ちに右各法条に該当するものと断ずることはできない。

四  以上説示のとおり、被告の主張一(一)の処分事由の存在はこれを認めることができないものである。

(被告の主張一(二)について)

一  昭和四四年四月二六日、全逓側が北見郵便局職員通用門付近に全逓旗、別紙〈省略〉(一)の横断幕および同(二)の立看板を掲出したこと、および管理者側がその撤去作業をしたことについては当事者間に争いがない。そして、〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

前記四月二六日の当日は、北見郵便局の庁舎管理者である同郵便局長の許可を受けることなく、通用門の両側の鉄柵に全逓旗が各二本ずつ計四本、入口のところに前記立看板が一枚立てられ、前記横断幕は道路から向つて通用門の右側にある図書室前の鉄柵に二枚張られた。そこで同郵便局長原田勇は同日午後三時ころ、管理職全員を局長室に集めて全逓旗などを撤去するよう指示した。この指示を受けて、同郵便局庶務会計課長本間良三は同三時三〇分ころ庁舎内にある組合書記局に赴き、原告後藤に対して旗、幕および立看板を直ちに撤去するよう命じたが、原告後藤はこれを拒否した。そこで、本間は直ちに通用門の鉄柵付近に行き、前記二枚の横断幕のうち、道路から向つて右側の幕のひもの結び目を解くなどしてその撤去作業を始めたところ、原告後藤と北見支部書記長原口徹がかけつけて本間に体を押しつけ、さらに本間が解いたひもを再び結んで撤去作業を妨害した。その後間もなく、同郵便局郵便課長安芸末男が局長室に待機していた他の管理職約六名と共にかけつけて撤去作業に加わつた。ところが、約五名の組合員が原告後藤らの応援にかけつけて妨害行為をした。そして、原告後藤はさらに、本間が撤去しかけていた横断幕を今度は安芸が撤去しようとしたところ、幕に体を密着させてこれを妨害したほか、同郵便局石黒郵便課副課長が道路から向つて右側の鉄柵に立てられた二本の全逓旗のうち右側の旗を撤去しようとしたところ、同人の肩越しにその旗竿をつかんでこれを妨害した。しかし、結局は全逓旗一本を残し、その余の前記掲出物は全て管理職によつて撤去された。以上の事実が認められる。

もつとも、証人安芸末男は、原告後藤は前記石黒の右肩にその右腕をかけて引つ張つたと証言し、同人作成にかかる現認書(〈証拠省略〉)にも同趣旨の記載があることが認められる。しかし、同証人が現認した状況を撮影した写真と認められる〈証拠省略〉、同じくその直前の状況を撮影した写真と認められる〈証拠省略〉を検討すると、原告後藤が石黒の肩に手をかけて引つ張つている状況というよりは、むしろ石黒が撤去しようとしている旗竿を石黒の肩越しにつかんでこれを撤去されまいとしている状況とみるのが合理的であつて、この点に、〈証拠省略〉によつて認められるところの、安芸が「暴力をやめろ。」と言つたところ、原告後藤が即座にこれを否定したことをも合せ考えると、原告後藤が石黒の肩を引つ張つて妨害行為をしたとの〈証拠省略〉を措信して右妨害事実があつたものと認定するには多分に疑問が残るものといわざるを得ない。そして、他に前記認定を覆すに足りる証拠はない。

二  郵便局の庁舎は国の行政財産で郵政大臣が管理するものである(国有財産法三条、 五条)。そこで、郵政省設置法四条は「郵政省はこの法律に規定する所掌事務を遂行するため、左に掲げる権限を有する。」と定め、その二号において「法令の定めるところに従い、所掌事務の遂行に必要な業務施設・研究施設等を設置し、及び管理すること。」と規定している。これを受けて、郵政省の組織に属する行政機関において遂行する事業、行政事務の用に供する庁舎、土地およびその他の設備(以下「庁舎など」という。)の適正な管理を行なうことを目的として庁舎などの取締りに関し必要な事項を定めることにより、庁舎などにおける秩序の維持などを図るため郵政省庁舎管理規程(〈証拠省略〉)がもうけられ、同規程二条において右の責任者として郵便局にあつては当該郵便局長を庁舎管理者と定めているから、北見郵便局の庁舎管理者は同郵便局長である。そして、同規程によると、庁舎管理者の許可なく広告物またはビラ、ポスター、旗、幕その他これに類するものを掲示、掲揚または掲出したときは、その撤去を命じ、これに応じないときは庁舎管理者はみずから撤去することができる旨規定されている(六条、一二条)。本件についてこれをみるに、前記全逓旗、横断幕および立看板はいずれも北見郵便局長の事前の許可を得ないで掲出されたものであり、原告後藤はその撤去命令に従わなかつたのであるから、同局長はみずからこれを撤去することができるわけであつて、管理職らが同局長の指示に従つてこれを撤去しようとした行為はもとより正当な職務行為であるといわなければならない。そして、〈証拠省略〉によると、全逓側は本件以前にも昭和四四年四月上旬以来数回にわたつて同局長の許可を得ないで北見郵便局の庁舎などにおいて全逓旗を掲出したことがあり、その都度前記本間が組合に警告を発し、また撤去命令に従わない場合はこれをみずから撤去したうえ、再び掲出しないよう注意をして組合に返還するということを繰り返していたことが認められ、右事実に前記各規定の趣旨をも合わせ考えると、原告後藤が管理職のなす正当な職務行為としての撤去作業を妨害した行為は、これを違法なものと評価ぜざるを得ないのであつて、国公法九九条に違反し、同法八二条一号および 三号に該当する。

(被告の主張二について)

一  被告の主張二のうち原告両名が坐り込みおよび庁内デモ行進に参加したことは当事者間に争いがない。そして、〈証拠省略〉を総合すると次の事実が認められる。

昭和四四年四月二六日全逓側が局長の許可を受けないで掲出した全逓旗などは、組合員の妨害はあつたものの旗一本を残して全て管理職によつて撤去されたことは前認定のとおりであるが、その際撤去作業に加わつた釘本郵政課長代理が旗竿一本を折つた。そこで、組合側は同日午後五時三〇分ころ、約四〇名が北見郵便局二階庶務会計課事務室に集まり当局側に対して撤去した全逓旗の返還と破損した旗竿の弁償とを求めて集団交渉に応じるよう要求したが、当局側はこれを容れず、結局当局側二名、組合側二名ずつの代表者を出して話し合うこととなり、組合員らは同室から退出し、同室前付近の廊下に坐り込んだ。当局側からは本間庶務会計課長および堀貯金課長が、組合側からは泉班長および佐藤副班長がそれぞれの代表者として話し合つた結果、当結側は今後旗などを掲出しないという条件で全逓旗などを返還することとなつたものの、旗竿の弁償の件は話し合いがつかないまま午後七時近くになつて交渉を終つた。そこで、佐藤副班長は話し合いの模様を廊下で待機していた組合員に報告したあと「最後にデモをやつて本日は解散。」と述べたところ、組合員の中には生ぬるいと言つて納得しない者がいたので、原告後藤は当局側の一連の行為なかんづく本日の暴力については全く納得がいかないから、一晩中でも坐り込みをやつて抗議と糾弾をしなければならないところだが、時間も遅くなつたし、闘いは明日からも続くのであるから、副班長のいうようにデモをやつて解散しようと説得した。そして、同日午後七時すぎころ、組合員らは同局二階局長室前付近の廊下において局長室に向つてシユプレヒコールをしたあと、庁内デモを行なうため同局二階食堂の方へ向いて隊列を組み始めた。

一方、前記本間は右集会の模様を局長室で聞いていたが、組合側が庁内デモを行なおうとしていることを察知し、デモ隊が正に行進を始めようとするとき、庶務会計課事務室と局長室との境付近で、組合員らに対し直ちに解散して退去するよう二度にわたつて命じた。そして、右の二度目の解散退去命令を発し終るか終らないうちに、同人は氏名不詳の組合員に右腕を抱え込まれ、隊列の前から三または四列目の中に引き込まれた。このとき、この状況を見ていた原告後藤は直ぐ本間の左腕を抱えて隊列に加わつた。デモ隊は全員で三五、六名が三列縦隊で一二ないし一三列になり行進を始めた。隊列は食堂と監察事務室との角で右折し、会議室前まで進み、同所でUターンしてさらに進み右食堂と監察事務室との角で左折し、局長室、庶務会計課事務室前を通つて先頭は女子便所の方向へ進んだ。その間、本間は隊列の行進するのに合わせ足踏みをしながら行進していたが、監察支局長室前付近からは足踏みを止めて両足を突つ張つて前に出し、上体を後に反らして抵抗したところ、原告後藤および前記氏名不詳の組合員は本間の左右の腕を抱えたまま同人を引きずるようにして行進した。かくして、原告後藤および前記氏名不詳の組合員は、本間を引き込んだ地点から約四五メートル行進して庶務会計課事務室前において、共に抱えていた本間の両腕を同時に前に振り出すようにして突き放した。本間は態勢が前かがみになつたまま約一メートル位滑り、左足首を内側に曲げ、それと同時に尻餅をついて左足首関節の外側を床に強打し、その結果同人は加療約三週間を要する左足関節捻挫(足関節内出血)の傷害を負つた。以上の事実が認められ、〈証拠省略〉中右認定に反する部分は後記二、三のとおりいずれも措信することができず、〈証拠省略〉中原告後藤が本間の右腕を抱えていたとの供述部分および〈証拠省略〉中本間の受傷が左足関節内骨折であるとの記載部分もその余の前掲各証拠に照らしたやすく措信し難く、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

二  前掲証人本間良三は、原告後藤とともにデモの隊列に引き込んだのは原告渡部であつて、原告後藤には右腕を、原告渡部には左腕を抱えられたと右認定に反する証言をし、また同証人の証言によつて真正に成立したと認められる乙第一三号証の二(同人作成の現認書)にも同旨の記載があるところ、前掲証人原口徹、同藤田央、同杉田修、同渡部和行はいずれも、原告後藤とともに本間の腕をとつて行進したのは原告渡部ではなく、原告渡部以外の組合員であるが、その組合員の氏名はいえない、そして原告後藤は左腕を、氏名をいえない組合員(以下某組合員という。)は右腕を抱えていたと証言するので、右各証言の信用性について判断する。

本間証人の証言によると、本間は受傷当日の四月二六日本件について原告後藤を警察に告訴したが、その時点では原告渡部については告訴せず、告訴状には「あえて庁内デモと称して、後藤が指揮をとり、告訴人の両側を他の氏名不詳の組合員とともに」と記載して、原告後藤および「氏名不詳の組合員」に傷害を負わされた旨申告したこと、ところが、二八日には原告渡部の氏名を申告し、原告渡部をも合わせて告訴したことが認められる。ところで、同証人はその理由として、「二六日の怪我をしたときは、顔を知つていたのですが、どうしても名を思い出せなかつたのです。」と証言し、さらに、二八日に当局側が作成したデモ参加者の名簿を見て原告渡部の氏名を思い出したので告訴した旨証言する。しかし、同証人の証言および原告渡部の本人尋問の結果によると、昭和四二年八月一〇日に本間が庶務会計課長として北見郵便局に赴任したときには既に原告渡部は同郵便局に勤務しており、両名は一年以上も同一郵便局に勤務していたものであり、個人的な付き合いこそなかつたが、本間は職場を回つていて原告渡部の顔を知つていたこと、原告渡部は昭和四三年一〇月から北見局班の青年部副班長となり、本件当時もその地位にあつたことが認められ、右認定の本間と原告渡部との間柄に徴すると、庶務会計課長の本間が、当時の組合の役員である原告渡部の氏名を思い出すことができなかつたというのは極めて不自然であると考えられる。他方、前掲証人原口、同藤田、同杉田、同渡部の各証言について検討するに、原口証人はデモ隊が出発する状況をその近くで見ていたものであり、藤田、杉田、渡部の各証人はいずれも当該デモにみずから参加したものであつて、その証言は重要な点については概ね一致し、いずれも自己の記憶に基づいて証言していると認められること、本間の右腕を抱えてデモの隊列に引き込んだ組合員の氏名については、いずれもこれを明らかにしないのであるが、いずれも特定の組合員を指していると認められること、氏名を明らかにしない理由も同じ組合員としてさらに懲戒処分者が出ることをおそれるためということであつて一応納得できることなどを合わせ考えると、右各証言はこれを措信することができる。以上の各事情によれば、本間証人の前記証言は到底措信できず、また前掲乙第一三号証の二の記載についても、同号証の作成日付が、事件当日の四月二六日付になつてはいるが、実際には四月二八日に作成されたものであること(証人本間良三の他の証言部分によつて認めることができる。)をも合せ考え、これを措信できないものというべきである。

三  原告後藤は、本間が負傷するときの状況について、原告後藤らの隊列が庶務会計課事務室の出入口の斜め手前のところに来たときデモ隊は止まつたので、原告後藤は本間を抱えている腕を静かに解いて、本間が後から押されないように自己の右腕を本間の背後に回してかばい静かに隊列から出してやつたところ、本間は三歩位歩いたところでしやがみこんだと供述し、原告渡部も、デモが解散となつたので、本間は二、三歩進みそしてしやがんだと記憶していると供述し、証人杉田修、同藤田央も概ね同様の証言をするので、これらの各供述の信用性について考える。

証人山下真一は前認定のとおり原告後藤と氏名不詳の組合員が共に抱えていた本間の腕をそれぞれ前に振り出すようにして突き出した旨証言しており、被害者である本間の証言とも符合しているうえ、右山下証人の証言によると、本間らの列は丁度、同証人の方に向つて行進して来たこと、同証人は本間から約二メートルの位置で見ていたことが認められ、さらに同証人の証言内容は詳細かつ具体的で、前後に矛盾がないものであつて、その証言は措信するに足りるものである。また、〈証拠省略〉によると、捻挫は脚軸が狂つた場合、たとえば足をねじるような場合に関節の軸が許容された範囲を越えて運動する結果生ずるものであること、本間の場合は関節全体がはれていて、特に関節の外側が一番はれていたこと、レントゲン撮影の結果、骨折とは断言できないが遊離骨折がみとめられたことが認められる。そうであるとすれば、本間の左足にはかなり強い外力が加えられたと考えるのが相当であつて、原告後藤らが供述するように、みずから三歩位歩いてしやがみこんだというだけで生ずるものとは到底考えられない。以上の諸点を考慮すると、原告両名の各本人尋問の結果および証人杉田、同藤田の各証言のうちいずれも前記の供述部分はこれを措信することはできないものといわざるをえない。

四  以上説示のとおり、原告後藤は昭和四四年四月二六日午後七時ころ、北見郵便局二階廊下において、庁内デモが行われた際、解散退去命令を発していた庶務会計課長本間良三に対し、氏名不詳の組合員とともに同人の腕を左右から抱え込み隊列の赴くまま庶務会計課事務室前まで行進したのち、右氏名不詳の組合員とともに抱え込んでいた同人の腕を同時に突き放してその場に転倒させる暴行を加え、よつて同人に対し加療約三週間を要する左足関節捻挫(足関節内出血)の傷害を負わせたものであつて、原告後藤の右行為は国公法九九条に違反し、同法八二条一号および 三号に該当する。

五  被告は、原告渡部も原告後藤とともに前記の暴行を加え、前記本間に対し傷害を負わせたと主張するが、〈証拠省略〉によつても右事実を認めることができず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。そうであるとすると、右主張事実の存在を前提に、原告渡部の行為が国公法九九条に違反し、同法八二条一号および 三号に該当することを理由としてなした同原告に対する本件懲戒免職処分は、前提を欠く違法な処分であつて取り消しを免れない。

(懲戒権の濫用)

一  成立に争いがない〈証拠省略〉(処分説明書)によると、被告が本訴において原告後藤に対する処分理由として主張する事実のうち、被告の主張一(一)および二の各事実については処分説明書に記載されていると認められるが、同一(二)の事実については記載があるとは認められない。

ところで、国公法八九条一項は処分を行なう者に対して、懲戒処分の際には当該職員に対し「処分の事由」を記載した説明書を交付することを要求しているが、その趣旨は当該職員に処分理由を熟知させ、これに不服があるときは人事院に対し審査請求(同法九〇条一項)をするなどの機会を与えることによつて、その身分を保障し、処分の公正を確保するにあると解される。国家公務員の身分を保障し、懲戒処分の公正を期そうとする右法案の趣旨にかんがみると、処分説明書に記載のない事由を処分の理由として主張し、当該処分を正当づけることは原則として許されないが、処分説明書に記載されない事実であつても、処分をなすに際し単に量定の情状として考慮した事実は、量定に必要と認められる限度でこれを主張することは差し支えないものと解するのが相当である。したがつて、処分説明書に記載された事実を基本的事実とし、これに記載されない事実を情状として総合考察し、当該処分の相当性を検討すべきである。

二  被告主張の原告後藤に対する処分理由のうち、一応懲戒事由に該当する非違行為として認め得るものは、前認定のとおり〈1〉北見郵便局管理職の全逓旗などの撤去作業に対する妨害行為(被告の主張一(二))、〈2〉同郵便局庶務会計課長に対する傷害行為(被告の主張二)の二点のみであるところ、右〈1〉の行為は本件の処分説明書に記載されない事実であるから、前説示により情状としてのみ考慮されるべきものである。

そして、前認定の各事実によつて考えれば、〈1〉の行為は管理職の正当な職務行為を妨害したものであるけれども、全逓旗などの形状、大きさおよびその掲示内容に照らすと、それらは組合の団結を強化しようとする意図から掲出されたものであるうえに、掲出された場所は職員通用門付近であつて、一般利用者の出入する玄関とは離れており、撤去作業が行なわれたのは土曜日の午後三時三〇分ころからであつて、一般利用者が来局する時刻ではなく、原告後藤が妨害した管理職の職務も一般利用者に向けられたものではなく、全逓旗などの撤去というもつぱら組合に対して向けられた職務行為であつたものと解されるのであるし、また、〈2〉の行為は前記本間に暴行を加え傷害を負わせたものではあるが、それは、全逓旗などの撤去および旗竿の破損に対する組合員の抗議から発展したデモ行進中に行なわれたもので、計画性は全く認められないうえ、原告後藤が本間を積極的にデモの隊列に引きずり込んだものでもないのである。以上のとおり、原告後藤の〈1〉〈2〉の行為は、いずれもさほどの情の重いものとは考えられない。

一方、原告後藤に対してなされた懲戒免職処分は生活の基盤を全く失わせる結果を招来する重大な処分であることはいうまでもなく、被処分者はこれによつて経済的不利益のみならず、社会生活関係においても種々の不利益を被るであろうことは推測に難くなく、その者の収入によつて生計を維持している家族の受ける不利益もまた重大である。

以上述べたところを総合して考えるならば、〈2〉の事実を基本的な事実として原告後藤に対し免職の懲戒処分を選択することは明らかに苛酷に失し、必要な限度を超えるものというべきであるから、本件懲戒免職処分は懲戒権の濫用として違法というべきであつて取り消しを免れない。

第三結論

以上の次第であるから、その余の不当労働行為の主張を判断するまでもなく、本件各処分の取り消しを求める原告らの請求をいずれも正当として認容し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判法する。

(裁判官 白石嘉孝 大田黒昔生 渡辺等)

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